Saturday, July 19, 2014

犯罪者からロックスターへの意識改革に努める


意識改革についてのとても興味深い話しを聞いた事がる。
ある貧困層で成績が最悪の高校に配属された新任教師の話し。
彼女はたった一年でその最悪な学校で担当したクラス全員をアメリカのトップレベルの成績に変えた。

びっくり仰天した校長先生は新任教師を呼び一体どんな技術を持ってしてこの落ちこぼれ達の成績をここまであげたのか?と質問した。

新任教師の答え

「校長先生、失礼ですがこの子達の名簿に記されているIQレベルはハーバード大学の学生並みです。全員が189、190、193などのIQレベルなのでハーバード大学で教えるレベルで授業をしないと生徒が飽きてしまうから必死で教えました!」

唖然とした校長先生の一言。

「その名簿にある番号は彼らのロッカー番号だよ」

新任教師はロッカー番号をIQレベルと100%勘違いして一年間教えていた。

この話は私が教える事に対する大きな意識革命だった。

Genuine Voicesの生徒は全員犯罪者。犯罪者を犯罪者という先入観で教えるとどこにも辿り着かない。少年院のスタッフからは「こいつらは犯罪者だから学ばないよ、教えても無駄だよ」などのコメントも聞く。

でもそれは違う。

生徒が延びないのは先生が生徒の無限の可能性を信じ投資していないからだ。

私は少年院で教える時は意識的に褒め言葉のシャワーを用意する。

「本当に良くできたわね!あなたには才能が溢れている!あなたはロックスターだわ!」等となんども言い続ける。

そして彼らは恥ずかしそうに「本当に?」と何度も聞いてくる、その時の彼らの目は犯罪者の目ではない。私には今掛け買いのない三歳の息子がいるが、褒め言葉を与え続けるとどんなに恐ろしい犯罪を犯した子でもころりと3歳児の息子と同じ天使の様な目で私の魂を見つめてくれる。

学んだ曲がキラキラ星でも私はショパンのエチュードをマスターしたかのような勢いで生徒を褒めまくる。

教える側の大きな責任。

生徒の事を信じないこと、それは教師として自分の可能性を疑うことでもある。

あるとき一人の受刑者にインタビューしたときGenuine Voicesを向上するのになにかアドバイスはありますか?と聞いたら彼の答えは

「僕の事を犯罪者で悪者で恐ろしい人だと先入観をもたずにわざわざ少年院まで音楽を教えに来てくれるだけで本当に嬉しい。」だった。

私は彼らの自尊心レベルがどん底よりも低いのを十分承知でどこまでその自尊心を音楽を通して向上させ自信を持って新しい事に挑戦していけるかそしてポジティブな人生を展開出来るかに重点を置いている。

あなたはロックスターね、あなたは本当に素晴らしい、あなたは将来沢山の人のインスピレーションになるわ!あなたは有名になるわ!そして有名になったらあなたと同じ状況にいた子達を沢山救えるわ!

と言葉を掛けると彼らは本当に変わる。

そう。たった一人。本当にたった一人で良い。一人の大人が彼らの可能性をどこまで信じてそのピュアな気持ちをどこまで心を込めて伝えられるかが本当に大切だと思う。

少年院での生徒からの虐め 


少年院で働いていて生徒から受けた虐めについて触れてみたい。

正社員として働いた期間2006年の7月から8ヶ月間努めた少年院は理想の形ではなかった。
私の始めたGenuine Voicesは個人レッスンを重視しその時間の中でどれだけ集中して生徒に愛を注げるかに焦点を置いている。

この少年院では私は州の教師として雇われたので全員を学校の単位の一部として受け持った。1クラス10人程いて合計80人程の受刑者がいた少年院だった。

この様な悪条件で人クラス10人しかもマサチューセッツ州での最重犯罪者をまとめるのは本当に大変だった。

生徒から後ろを向いたときに丸めた紙をなげられたり、ドラムに穴をあけられたり、ヘッドホンを隠されたり、足を引っかけられて転びそうになったり。

「こいつの口臭何とかしろよ」と罵られたり罵声を何度も言ってきたりと本当に様々だった。でもこういった先生に対する虐めや嫌がらせはまあ予想したのでそんなにショックではなかったが一番衝撃的だった嫌がらせ

”授業中にマスターベーションを私の目の前で堂々とする!”

これには苦労した。

特に皆で時間を決めて10人中7人がマスターベーションを一斉に始める嫌がらせにはお手上げだった。各クラスにセキュリティーガードが二人配置されるが彼らを通して止める様に伝えてもあまり効果はなし。

そして一度だけ生徒の嫌がらせで泣いたことがある。

州から100万円の予算が楽器と教材を揃える為に出たと聞いたのに結局最後に辞任するまでそのお金が上手く配分されず私物を授業に使っていた。
自分のiPodを使っていたのだが一人の生徒がそれを私の目を盗んで取り上げ暖房の中に隠した。他の生徒が誰かが暖房にiPodを隠したとの事を聞き暖房解体作業を始めた。やっとの思い出解体した暖房なんとその一番底から私のiPodが出てきた。隠した生徒は名乗り出ず彼らに対しての怒りと学校側から必要な物が支給されてない不満と色々重なって泣いてしまった。

結果的にiPodを隠した生徒は あの日本人教師を泣かせたぜ!とその日の夜自慢してたのをスタッフが聞いて彼はその責任として出所日が3ヶ月延びた。

でもその子のプロフィールを見てなぜか納得した。

内容は

「彼は子供の時に父親が銃で殺されたのを目撃している。それからギャングに入り前いた少年院では彼が主犯で三人で一人の受刑者に枕カバーを被せベッドに縛り付けレイプした。」
というものだった。


ブラッドとクリップ


アメリカのギャングは大きく分けて二つのライバルギャングがある。


ブラッドとクリップ



ロスから発祥したブラッドとクリップはアメリカ全土に広まる。

私が住むマサチューセッツ州ではブラッドとクリップは住む地域によって変わってくる。私は他の州の事は無知だがマサチューセッツではブラッドはラテン系クリップは黒人系が多い。

2003年から始めた少年院でのGenuine Voices の活動が評価され2006年マサチューセッツ州の歴史上始めて少年院で正社員としての音楽教師の予算が認可されその大役を私が努めることになった。

私が配属された少年院はJudge Connelly Youth Centerとい場所でそこにはマサチューセッツ州で最も重い犯罪を犯した少年達が80人程いた。

その約半数がブラッド半数がクリップ。犯罪の種類として主にギャング犯罪が中心だかその中には性犯罪者もいる。私は音楽教師として毎日50分の授業を4クラス受け持つ事になった。

クラスはAからH。

ABCDはブラッド。 

EFGHはクリップ。

美術の先生と1ヶ月毎にブラッドとクリップを移動した。

ギャングの抗争はストリート、地域の抗争とも言える。彼らは番号を記号にし暗号化して様々な形でメッセージを送っていた。

彼らには特別な色がある。

ブラッドは  

クリップは  

道で真っ赤なトレーナーをきて真っ赤な靴を履いてる子達は体外ブラッド。
真っ青はクリップ。

これは私の中でもあまり理解できないが一度どの子が曲を弾けるようになったかをチェックするのに何も考えずブラッドのクラスで青い蛍光ペンを使って名前をチェックしていたら生徒がかなり憤慨した。

「先生、なぜ青いペンを使っているんだ?」

私はその時、そっか、このギャングの色は赤なんだと気付いたが

「あなた達が気に入らないのは分かったけれど私はギャングではないからよ」

とあっさりと答えておいた。


マサチューセッツのブラッドはラテン系なので生徒がスペイン語で色々話している。
きっと私の悪口も言っているだろうと思いなめられたくない!という負けず嫌い根性でスペイン語を独学で勉強し今ではスペイン語で基礎会話が出来る様になった。

ブラッドのお陰?

多分日本人の感覚だとアメリカの銃犯罪は怖いというイメージがあるだろうが多くのギャングと接してきて断言出来るのはあなたがギャングで出ない限り犯罪に巻き込まれる可能性は相当低いという事。

ギャングにはギャング以外の人間、特に女性に対しては手を出さないというプライドとルールがある。だから私は本当に何百人という数のギャングと接してきたが殆どの子達が紳士で優しくて心が澄んでいる。私には本当に尊敬の眼差しで接してくれる子が多い。

実際少年院では沢山のギャングメンバーが私の警備をしてくれると申し出てくれて

「先生。あなたはボストンで一番安全な人です!なぜなら僕たちがあなたの事を守るから!!」と言ってくれた。

ブラッドとクリップ。


私の個人的な意見はどんな青少年も思春期に自分の価値を模索する。その上でどこに自分のアイデンティティーを置いて良いか迷った時偶然周りの友達がブラッドにいた、クリップにいたという感じでギャングに入る。


もしも思春期の模索期間に彼らが世界に飛び出し広い世界で自分が誰かの手助けになる事を学べたらきっとギャングというアイデンティティーではなく自分という価値を自覚し個人でも社会的位置が把握出来ると思う。そういったお膳立てを私達大人がどれだけ理解して用意出来るかがこれからの犯罪防止の要だろう。

ワシントン州でのプロジェクト


2003年の1月。

ワシントン州にあるバーリントンとマウントバーノンという小さな街でGenuine Voices のプログラムを2週間行なった。

バークリー音楽大学から$1,000の寄附を頂戴し楽器やシーケンスのソフトウェアなどを購入してYMCAのアフタースクールプログラムで男の子達をメインに音楽を教えた。

そこは少年院ではなかったがこのプログラムに通っている子達は高校を中退しかけている子達。2週間のプログラムの最後には地方新聞にもこの活動を紹介して頂き生徒が作った音楽でダンスの発表も出来た。




その当時12歳だった一人の男の子の話し。

彼は今23歳。残念ながら今ワシントン州の刑務所にコカイン所持の罪で受刑している。理由は彼の彼女が子連れだったのだが彼女のコカイン中毒の影響で彼も使用し二人の元に赤ちゃんが生まれたが両親ともコカイン所持で逮捕され現在その血のつながらない兄弟を彼の母親と祖母が面倒を見ている。

最近その事情を知り刑務所にいる彼に手紙を書いた。

3週間後に来た彼からの返事は4枚の薄い紙の両面に溢れんばかりの感情と文字がびっしり書いてあった。その中でもとても印象的だったのは2003年11年前に私が彼に音楽を教えた時の話し。彼の言葉によるとあの時以来音楽に興味を持ち続けプロデュースもしてみた。本当にあの時ワシントン州まで教えにきてくれてありがとう、との感謝の気持ちを伝えてくれた。

私達の活動はその場で音楽を教えるという短時間の目的ではない。

音楽と愛を通して短時間でも築く事の出来る一生物の信頼関係。良くボランティアやインターンに重ね重ね伝える事。

「私達の活動は今ではなく未来に焦点を置いている。あなたが音楽のレッスンを通して掛ける言葉は彼らの心に種として撒かれる。あなたの種がどれだけ大きな愛を含んでいるかによって数年後数十年後にどれだけ大きな花が咲くのか大きな物が収穫できるのかに深く関わってくる。」


大多数の受刑者達は家庭環境や育った地域の環境が悲惨だ。そんな中でも少年達は私達にチャンスをくれる。そのチャンスとは”信頼”。信頼出来ない過去があるのに人をまた信じてみようと思ってくれるチャンスを音楽を使って膨張し私達や周りのスタッフが彼らを信用する事によってもう一度頑張ろうと思ってくれる。

その期待に応えられるように毎日アメリカで沢山の人と出会い、交渉し、より多くの青少年を救えるように日々努力している。


念願の少年院へ


2001年に始めたBoys & Girls Clubでのプロジェクトも少し軌道に乗ってきた時、ある雑誌の編集の方から取材の依頼を受けた。その方はポジティブティーンという雑誌を発行していて少年院にも配布しているという。

彼女は実は少年院で音楽を教えたいのですがご紹介下さいませんか?
という私の要望を快く引き受けて下さり2002 の夏念願だった少年院で音楽を教える事が出来た。

初日に少年院に足を踏み入れた時の事を鮮明に覚えている。

まずは鉄のドアをセキュリーティーガードがボタンを押して開ける。
持ち物は全て入り口のロッカーに預ける。

中に入ったときの緊張感そして実際の受刑者をみたときそして独房に入っている男の子が小さな窓から私の事を興味津々にそして悲しそうに見つめていた眼差し。かれこれ12年も前の事だがその時の複雑な感情が今でも心に強く残っている。

どうしてこの子達は捕まっているんだろう。どうしたら助けられるんだろう。。

殆どがアフリカ系アメリカン(ブラック)そしてヒスパニック、その中で日本人の私がうろうろしてたらやっぱり目立つ。

その少年院はMetro Youth Service Centerという少年院。
犯罪を犯して裁判の結果を待っている期間まず入れられるのがここ。

そこでは週一度音楽のレッスンをする事になった。
バークリーの学生二人とともに始めたレッスン。

2002年にはバークリー音楽大学から卒業生への特別寄附を5千ドルおよそ50万を授与。しかしこの場所は一時的に拘置される場所なので生徒の入れ替わりが激しく今週教えた生徒が翌週は裁判の結果他の少年院に移動したりと一貫性に欠けていたため2003年の夏からBrighton Treatment Centerという少年院にプログラムを移動。ここは3ヶ月から1年拘束されているため長い期間一貫して教えられる事ができる。


このプログラムで今でも印象に残っている生徒の話。

仮名はR。Rは私がピアノを教えている時に手が震えていた。その震えが止まらないので「あなたどうして震えているの?大丈夫?」と声をかけるとこんな返答が。

「5歳の時父が銃で人を殺した時一緒にいた。その時以来父は刑務所へ僕は長男として父親役をしてきた。数ヶ月前妹が近所の子供がら虐めにあっていたのを目撃し妹を守ろうと相手をパンチしたら力が入りすぎて彼の肋骨が折れた。そして警察を呼ばれ暴行罪で捕まって今ここにいる。本当に不公平だ。」と打ち明けてくれた。

Genuine Voices の活動で素晴らしい瞬間は音楽を通して今まで金属のように固い殻に圧縮されていた怒りや悲しみを私たち音楽教師に打ち明けてくれる時。

私は彼の為に作曲した。

曲の名前は Promise The Life (命の約束)彼直属のケースワーカーに夜と私がその曲をプレゼントして以来毎日就寝前にその曲を聞いてくれていたとの事。
そして出所後更生しお母様と妹さんと仲良く暮らしているとの事。


少年院で音楽を教える目的。

音楽を通して人生の価値を再認識し自尊心を育て社会に復帰した時再度犯罪を犯すのを防ぐ事。

Rは私達にとってとても誇らしい生徒の一例。


こうしてGenuine Voicesは2002年以来音楽を通して少年達が更生できるように働き続けてきた。


そして本当に多くのアメリカの非行青年達に会ってきたが彼らは皆会いに飢えている。
だから愛情や信頼を注げば注ぐ程彼らは更生の道へ軌道修正が可能になる。

起業から12年経った今毎日沢山の子供達が感謝の気持ちを伝えてくれる。

こころからこのプロジェクトを始めて良かったと思っている。


発案


切っ掛けは友達から借りた本。

カルフォルニアにある少年院でジャーナリズムを教えていた方が少年院内で新聞を発行することによって二人の少年が後々ハリウッドのシナリオライターになった。

この事を読んだ瞬間背筋がぞっとするような電気が体を貫くような感覚に包まれ私もこのアイディアを音楽で試してみたい!と思ったのが2001年の9月。

当時アメリカのボストンにあるバークリー音楽大学に留学中で卒業する年で卒業制作を何にしようかと思っていた。大体の学生が卒業制作プロジェクトではコンサートやレコーディングなどをするが私はどうしてもこの本のプロジェクトが気になり地域活動をする事に決めた。少年院の受刑者が狭い独房でどんな事を考えどんな風に時間を過ごしているのか?そこにもし音楽があったら捕まってはいるけど脳の中でも安全な平穏な世界を創造でるんではないか?と勝手に予測してシーケンス(コンピューターでの打ち込み音楽)を使ってラップをしたらどうか?と考えた。

バークリーでの交渉が始まった初日 。
朝10時に予定していた会議に行くエレベーターから号泣している方が沢山降りてきた。
大学はその日閉鎖され会議は無くなった。

その日付は2001年9月11日。。。。。

同時多発テロが発生した直後だった。
その当時貧乏学生だった私はテレビもスマートフォンもなく何が何だか検討もつかず日本語の母からの電話でテロの話しを聞く。

その日の怒りやニューヨークに住む友達の話し全ての事を昨日の事のように覚えている。

その日私はこんなに小さくて無力な私にいったい何が出来るかを深く考えた。

多分世界中の方が似たような事を考えていたかもしれない。


今でも覚えているのは翌日朝10時にあった会議で話しをしてくれたキャリアセンターのピーター氏が僕の友人がワールドトレードセンターで働いていて連絡が取れない、と打ち明けてくれた。

こんなに人々がパニック状態になっているときに私のプロジェクトに耳を傾けて下さったピーター氏、あれから13年経った今もこのプロジェクトをサポートしてくれていていつも的確なアドバイスを頂いている。

ピーターに私は少年院で音楽を教えたい!と率直に伝えると

そうかそれならNPO法人を経ち上げるべきだよ。

と教えて下さった。

NPOについての知識は皆無。

正に未知の世界に足を踏み入れる一歩。不安というより誰かを助けたいという気持ちの方が強くピーター氏のアドバイスにしたがって Volunteer Lawyers for Arts (VLA)という団体を紹介してくれた。


次にしたのはグーグル検索。


どこから始めて良いかなんて勿論分からない。

とりあえず

Kids in Jail
捕まっている子供 と入力すると

地方裁判所ボストン保護監察官のプロジェクトのリンクが出てきた。
そのプロジェクトは犯罪防止の為保護監察官が夏に子供達を捕まえるのでは無く就職を斡旋しボストンの市長からもサポートされていた。

リンクをクリックすると Bill Stewartという保護監察官の写真と連絡先があったので
迷いもせずに電話をした。

「初めましてビルさん。私は少年院で音楽を教えたいのですが一度お会い出来ませんか?」と無謀な電話をするとビルは「勿論、いつオフィスに来られるかい?」と快く答えて下さりその翌週にはビルのオフィスにいた。

ビルは何十年も犯罪者と仕事をしている。

開口一番に言われた事は

「君のアイデアは素晴し。少年達はラップが大好きだ。でもね君は日本人でしょ。アメリカのギャングは本当にタフだから少年院に飛び込むのは無理だろう。まずは貧困層にある危ない地域にある施設から始めてみたらどうだい?」との提案で Boys & Girls Clubというプロラグラムを紹介して下さった。


それからの私はとにかく交渉交渉交渉の連続でなんとか Boys & Girls Club で音楽を教えられることになったのが2001年の10月。

バークリーからはキーボート、スピーカー、マックブック、そしてリーズンというシーケンスのソフトウェアを寄附して頂き6人の生徒と4人のボランティアの先生からこのプロジェクトは始まった。

同時25歳だった私。

今考えてみても本当に猪突猛進すぎて周りも何も見えてなかったなと思う。

9.11のテロの後で多くの方が何かをしたい人を助けたいという衝動に駆られていたのも後押してか本当にスムースに事が動いていったのを今でも覚えている。


始めて手掛けたプロジェクトは2009年には功績が讃えられゲリーさんという裕福な方が1,000万円を寄附してくれ600万円のレコーディングスタジオが完成。400万円のミュージックディレクターのお給料まで寄附して頂いた。

私はBoys and Girls Clubは2003年で辞めているがこのプロジェクトの生みの親であることを讃えられオープニングセレモニーでは日本人の女性が私達の子供を救ってくれた!と沢山の方に賞賛して頂いた。

そして当時教えた子供は今大人になって一人の生徒は音楽の先生になり一人は結婚式でオルガンを弾いて欲しいと招待してくれ子供達が大人になって感謝してくれるのがこんなに素晴らしいことなのかと言葉では決して表現しきれない幸せを今でも毎日感じている。




             レコーディングスタジオ




左から2001年に始めて教えた生徒(今音楽の先生とDJに)
私、Boys &Girls Club 代表のボブ、
保護監察官のビル


Genuine Voices


初めまして。

アメリカのボストンに在住。

2002年にNPO法人Genuine Voicesを経ち上げました。

Genuine Voices の活動は少年院で音楽を教える事。

とってもシンプルなコンセプトですがこのプロジェクトを通して計り知れない程沢山の事を学んでいます。

このブログでは私の視点からみたアメリカの少年院、NPO法人の設立と運営から得た経験などを少しでも多くの方とシェア出来たら嬉しく思います。

Genuine Voices のロゴ