Saturday, July 19, 2014

発案


切っ掛けは友達から借りた本。

カルフォルニアにある少年院でジャーナリズムを教えていた方が少年院内で新聞を発行することによって二人の少年が後々ハリウッドのシナリオライターになった。

この事を読んだ瞬間背筋がぞっとするような電気が体を貫くような感覚に包まれ私もこのアイディアを音楽で試してみたい!と思ったのが2001年の9月。

当時アメリカのボストンにあるバークリー音楽大学に留学中で卒業する年で卒業制作を何にしようかと思っていた。大体の学生が卒業制作プロジェクトではコンサートやレコーディングなどをするが私はどうしてもこの本のプロジェクトが気になり地域活動をする事に決めた。少年院の受刑者が狭い独房でどんな事を考えどんな風に時間を過ごしているのか?そこにもし音楽があったら捕まってはいるけど脳の中でも安全な平穏な世界を創造でるんではないか?と勝手に予測してシーケンス(コンピューターでの打ち込み音楽)を使ってラップをしたらどうか?と考えた。

バークリーでの交渉が始まった初日 。
朝10時に予定していた会議に行くエレベーターから号泣している方が沢山降りてきた。
大学はその日閉鎖され会議は無くなった。

その日付は2001年9月11日。。。。。

同時多発テロが発生した直後だった。
その当時貧乏学生だった私はテレビもスマートフォンもなく何が何だか検討もつかず日本語の母からの電話でテロの話しを聞く。

その日の怒りやニューヨークに住む友達の話し全ての事を昨日の事のように覚えている。

その日私はこんなに小さくて無力な私にいったい何が出来るかを深く考えた。

多分世界中の方が似たような事を考えていたかもしれない。


今でも覚えているのは翌日朝10時にあった会議で話しをしてくれたキャリアセンターのピーター氏が僕の友人がワールドトレードセンターで働いていて連絡が取れない、と打ち明けてくれた。

こんなに人々がパニック状態になっているときに私のプロジェクトに耳を傾けて下さったピーター氏、あれから13年経った今もこのプロジェクトをサポートしてくれていていつも的確なアドバイスを頂いている。

ピーターに私は少年院で音楽を教えたい!と率直に伝えると

そうかそれならNPO法人を経ち上げるべきだよ。

と教えて下さった。

NPOについての知識は皆無。

正に未知の世界に足を踏み入れる一歩。不安というより誰かを助けたいという気持ちの方が強くピーター氏のアドバイスにしたがって Volunteer Lawyers for Arts (VLA)という団体を紹介してくれた。


次にしたのはグーグル検索。


どこから始めて良いかなんて勿論分からない。

とりあえず

Kids in Jail
捕まっている子供 と入力すると

地方裁判所ボストン保護監察官のプロジェクトのリンクが出てきた。
そのプロジェクトは犯罪防止の為保護監察官が夏に子供達を捕まえるのでは無く就職を斡旋しボストンの市長からもサポートされていた。

リンクをクリックすると Bill Stewartという保護監察官の写真と連絡先があったので
迷いもせずに電話をした。

「初めましてビルさん。私は少年院で音楽を教えたいのですが一度お会い出来ませんか?」と無謀な電話をするとビルは「勿論、いつオフィスに来られるかい?」と快く答えて下さりその翌週にはビルのオフィスにいた。

ビルは何十年も犯罪者と仕事をしている。

開口一番に言われた事は

「君のアイデアは素晴し。少年達はラップが大好きだ。でもね君は日本人でしょ。アメリカのギャングは本当にタフだから少年院に飛び込むのは無理だろう。まずは貧困層にある危ない地域にある施設から始めてみたらどうだい?」との提案で Boys & Girls Clubというプロラグラムを紹介して下さった。


それからの私はとにかく交渉交渉交渉の連続でなんとか Boys & Girls Club で音楽を教えられることになったのが2001年の10月。

バークリーからはキーボート、スピーカー、マックブック、そしてリーズンというシーケンスのソフトウェアを寄附して頂き6人の生徒と4人のボランティアの先生からこのプロジェクトは始まった。

同時25歳だった私。

今考えてみても本当に猪突猛進すぎて周りも何も見えてなかったなと思う。

9.11のテロの後で多くの方が何かをしたい人を助けたいという衝動に駆られていたのも後押してか本当にスムースに事が動いていったのを今でも覚えている。


始めて手掛けたプロジェクトは2009年には功績が讃えられゲリーさんという裕福な方が1,000万円を寄附してくれ600万円のレコーディングスタジオが完成。400万円のミュージックディレクターのお給料まで寄附して頂いた。

私はBoys and Girls Clubは2003年で辞めているがこのプロジェクトの生みの親であることを讃えられオープニングセレモニーでは日本人の女性が私達の子供を救ってくれた!と沢山の方に賞賛して頂いた。

そして当時教えた子供は今大人になって一人の生徒は音楽の先生になり一人は結婚式でオルガンを弾いて欲しいと招待してくれ子供達が大人になって感謝してくれるのがこんなに素晴らしいことなのかと言葉では決して表現しきれない幸せを今でも毎日感じている。




             レコーディングスタジオ




左から2001年に始めて教えた生徒(今音楽の先生とDJに)
私、Boys &Girls Club 代表のボブ、
保護監察官のビル


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